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2009年12月 8日 (火)

寛ぎの場所はどこ

皆さんがゆったりと寛げる場所は何処ですか・・・人によっては、寝るときとか風呂に入っている時間帯、茶の間でテレビを見ながら煎餅をパリパリ。或いはトイレだと言う人もいるし、ボケッとしているとき、また友だちらとの雑談しているときなど人様々で、色々と寛げる場がおありかと思います。わたしの場合はと言うと、風呂に入って一日の疲れを癒しているときでしょうか。この時こそ、一番の寛げる場所でもあります。昨日は今朝の紙上に掲載する明日の歴史版に、文豪夏目漱石の記事を書いた。漱石がこの世を去ったのが1916年(大正5年)12月9日で、享年49歳の若さと云われています。持病だった胃潰瘍が悪化し、東京の自宅で死去したとされる。当時の夏目漱石の肖像画や写真から、とても49歳とは思えぬぐらい老けていたように思われる。漱石が残した代表作「我輩は猫である」「坊ちゃん」「門」「こころ」などの有名な著書は一体、何歳のときの執筆なんだろうと過去を遡ろうとした。しかし、これほどまでに有名な文豪の過去など振り返ったところで、誰にも感謝されるものでもないと・・・ならば、静かに漱石の著書を読み返すのも寛ぎの時間として良いかも知れない。Natsume_soseki_photo わたしが産まれる6年前の1941年(昭和16年)12月8日(米国時間12月7日)の未明のこと。陸軍は英領マレー半島に奇襲上陸、海軍はハワイの真珠湾で米太平洋艦隊を奇襲したのです。「大本営発表・・・本日未明、帝国陸・海軍は西太平洋上に於いて米英と戦闘状態に陥った・・・」すなわち、太平洋戦争の開戦でした。わたしの親父は当時、岐阜の田舎で百姓をしていた。戦争が劣勢になった昭和18年に、たった一枚の赤紙が来て召集されたのです。初年兵として連日、厳しい訓練が始まりその半年後に支那の連隊に配属された。支那では対日本に対する激しい反撃があり、親父は死に至るような重傷。野戦病院を転々とし、終戦の年である春に日本本土に帰ることが出来た。その後、療養所から退院したのが20年の夏だったと聞いている。そして終戦を向かえたのです。百姓だったのが幸いだったのか、終戦の貧困時代でも食うには困らなかったようだ。岐阜や名古屋からヤミ米を求めて農家に反物や、米に替える衣類や家財道具の一部など、物々交換のようなもので交換したという。当時は米はお金に換わる貴重なものでしたし、わたしらには口に出来なくとも、物々交換や米の買出しにくる人たちに回される宝物だったと。このような戦記歴史などを書くと、親父のことを思い出してしまう。その親父は昭和26年の春この世を去ったのだ、親父34歳の短い生涯でした。

さて、今日の美味しいでは何だったでしょうか。今日はカミサンが造ってくれた「おむすび」です。海苔は捲かずににご飯を塩水で握っただけのシンプルな「おむすび」です。具は昆布と塩漬けしたサクラエビに、梅干だけですが美味しかったですよ!先日は焼おにぎりでしたが結んだだけの「おむすび」も好いものですよ。2009_1208_021

明日は久しぶりのお休みです。温泉にでも出掛けようかな・・・それとも、買い物のお手伝いかな。明日も素晴らしい出会いがあるかも知れませんね、それを楽しみに・・・。

それから、イルミの(3)を『pecoさんのぼやき』に掲載しました。今夜のイルミは、可児市下恵土にある可児市文化創造センターの広場に設けられ夜のファンタジーです。どうぞご覧くださいませ。

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コメント

文豪夏目漱石にはいろいろな思いがあります。姜尚中さんの著書「悩む力」でも登場しますが、「笑った顔の写真が少ない人」深く人生について悩んだ人だと思います。
坊ちゃんの様な明るい話から、草枕やこころの様に、深く心情に訴える話。全てな夏目漱石そのものだった様に感じます。
私は作家としても、画家としても、夏目漱石が大好きでした。

投稿: ちぶす | 2009年12月 9日 (水) 10時23分

私もお風呂は寛げます。
入浴剤を入れて、防水音楽プレーヤーで
好きな曲を聴きながらゆったり過ごします。

祖母はあの時代、着物を食料に換えて
7人の子供を育てました。
鯉のぼりも子供の服に仕立てています。
配給されたばかりのお米を盗まれたこともあるそうです。
母は今でも「あの時おばあさん(私の祖母)はどうしたんだろう」
と言っています。

投稿: minmin | 2009年12月 9日 (水) 11時51分

ちぶすさん>>
こんばんは。
昭和の始めには有名な文豪が数多くいました。漱石もそうですが、島崎藤村だって坪内逍遥だってそうでした。
妻篭には、藤村を語る歴史館がありますよね・・・逍遥だって美濃を代表する文豪でした。芥川龍之介だって!!当時は、貧困な時代にあってそれぞれの文豪たちも生活に苦慮していたし、いまのような文明ではなかったのが幸いしたのかも知れません。


minminさん>>
こんばんは。
そうですか、minminさんもお風呂が寛げる場所なんですね。ビーチボーイの歌を聴いてでしょうね(笑)
戦争中、後は悲惨な時代だったと思います。喰うのにも事欠いた時代でしたからね・・・
そう思うと、当時のお父さんやお母さんたちは本当に苦労されたと思います。自分よりも子供たちのためにと、喰うのもためらっていた時代でしたからね。
戦争は二度とあってはならない・・・今は平和すぎる位い平和だからね。


pecoからのメッセージでした。

投稿: peco | 2009年12月 9日 (水) 19時09分

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