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2011年2月20日 (日)

残したい昭和の記録

私が生まれた昭和は、終戦間際のどさくさ時代・・・。食べるものもなく、何処の家庭だって貧困な生活でした。お父ちゃんたちは、戦争が終わって兵隊の任務も解かれ、家に帰ってきたのも昭和20年から21年ごろでした。今も鮮明に覚えているのは、進駐軍の兵隊さんたちにチューインガムや、チョコレートをもらったこと。日本が戦争に負け、敗戦国となったが平和という画期的な世の中に生まれ変わったことに、多くの国民は安堵感を覚えたこともあるでしょうか。戦争によって多くの人が亡くなられ、日本は廃土となったが人々は立ちあがって汗を流したのです。

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上の絵や、写真を観るだけで何十年も前の、昭和の匂いがしますよね、別に好い匂いではありませんが、土臭い泥臭い匂いが充満していたのでしょうか。夕方近くになるとお寺の鐘が鳴り、家に帰る時間を告げる。すると何処からともなく秋刀魚を焼く匂いがするし、何処からかカレ-の匂いがする。テレビなんてない時代だから、ラジオを聴くのがが唯一の娯楽だったと思います。ちゃぶ台を囲んでの夕食も、何となく和らぎを感じさせてくれそうな時間でした。昭和の時代は、今の日本を創り上げた基礎であったかのように、町工場も活気があったようにみえました。学校だって、古い木造の校舎にギシギシと音を立てた長い廊下があり、走り回った記憶がありました。私たちが幼少のときの遊びといえば、チャンバラ・駒まわし・かくれんぼ・竹馬・メンコなど主流で、年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちに連れられて遊んだものでした。危険なところは行かないように教えてくれたり、良い悪いはお兄ちゃんやお姉ちゃんたちが手本となってくれたり・・・今のような虐めもなかった時代でしたね。それが戦争が終わった昭和の時代でもあり、懐かしい良い時代だったかも知れません。

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コメント

こんばんは。
このようなテーマ、たまに扱っていただくと、嬉しいような、ほっとします。
身内、友人知人、著名人…世代を共にした人たちが消えていきます。
時代背景の紹介は、若い人たちの反応はどうなんでしょうかしら。

投稿: 高尾山 | 2011年2月22日 (火) 19時40分

高尾山さん、お返事が遅くなり申し訳けありませんでした。
ご要望がございましたら、何でも申してくださいませ、。、。
今日からもう、桃の節句でもあります3月となりましたね。
明後日はお雛様です。ちょっと此処にきて冷え込んでいますが、
早く春本番になって欲しいものですね。

投稿: peco | 2011年3月 1日 (火) 16時43分

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