« 好球必打 | トップページ | 続編 畑中陸軍少佐 »

2011年9月 6日 (火)

畑中陸軍少佐

本名は畑中健二、彼は元日本陸軍参謀で陸軍省軍務課の少佐であった。彼は1945年8月15日つまり終戦の日の正午、玉音放送前の午前11時過ぎに皇居宮中の庭で、同じ陸軍軍務課参謀椎崎中佐とともに自決した。いきなり、畑中陸軍少佐と云ってもピーンとこない方も多いと思い、どんな人物であったか前編と後編にわたって、畑中陸軍少佐が関わった事件のことをお話しましょう。下記の写真は、畑中健二陸軍省参謀少佐であり、当時の実写真です。畑中さん、現在は靖国神社で静かに眠っておいでです。

150pxmajor_kenji_hatanaka_3   

昭和20年7月26日。太平洋戦争での敗色濃い日本に対し、連合国側が発したポツダム宣言に内閣閣議は、ポツダム宣言を受託するか否やで鈴木貫太郎首相以下、内閣らの議論が紛糾した。阿南陸相は、あくまでも本土決戦派だったが、受け入れなかった。米内海軍相は「日本には、これ以上の戦争に耐えられるだけの国力がない」と、戦争終結の意見だった。閣僚は、はっきりした結論がでないまま、最終的には黙殺となったのである。そうしている間にも8月6日、広島に原爆が投下されて20万人もの命が一瞬に失われた。そして、9日には長崎に・・・・東京をはじめ、全国92の都市が焼け野原となった。8月14日、内閣閣議で結論がでないまま、宮城内地下防空壕の御前会議での天皇のことばは、「これ以上戦争を続ける事は、我が民族を滅亡させることになる。速やかに終結せしめたり」と、言うものであった。抗戦派の陸軍省参謀の畑中少佐、椎崎中佐らは、天皇のことばを知って噴った。「それでは国のために死んでいった者たちが浮かばれない」彼らは、陸軍省の阿南陸相に、こう迫った「辞職してください!そうすれば、内閣は敗戦の手続きが出来なくなり、本土決戦に持ち込めます!」しかし、阿南陸相の心は既に決まっていた。「天皇陛下の御意思に背くことは出来ない」だが、畑中少佐・椎崎中佐らの心中は決まっていた。これとは別に内閣は宮内省関係者らと、戦争終結をどう国民に知らせるのか議論を重ね鈴木首相が、前もって陛下のお言葉を玉音放送の録音でということに決まり、天皇自らの声をラジオ放送に乗せるというものだった。詔書案作成にも議論紛糾のなか、放送は8月15日正午と決定した。阿南陸相は、放送の日にちを2日待って欲しいと鈴木首相に申し出たが、「日増しに高まる連合国の爆撃などに一刻の猶予もありませんし、放送の日を延ばすことは考えられない」と、却下したのである。それと、近衛師団に不隠な動きがあると、内閣の重臣たちから耳打ちされる。しかし、鈴木首相は「近衛師団に限ってそんなことはないと思いますよ、だいたい近衛師団は陛下をお守りする軍隊です」と、重臣たちにそう語っていた。その時間にも、特攻隊員たちは太平洋の連合国の空母に向け飛立って行くのだが。抗戦派の陸軍省の将校たちは焦っていた。いざ決起すべきか、否か・・・長引いていた詔書案が出来たが、天皇が少しばかり修正を加えたため連合国に対し、ポツダム宣言受諾への打電が行われた。こうして、正式に戦争終結に向けた日本のメッセージが世界に流れる事になった。おさまらないのが、陸軍参謀の畑中少佐や椎崎中佐らの青年将校たち。。。。

この続きは次回に掲載します。 

|
|

« 好球必打 | トップページ | 続編 畑中陸軍少佐 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

終戦の最中での宮中事件は私が5歳でした
正午の玉音は当時住んでいた淀川の公民館前でした。皆がじっと泣きながら聞いていたのを覚えています。これで戦争が終わったと言う人もいる一方で、座ったまま泣いてる人もいたりで私にとって8月15日は特別な日でもあります。この畑中少佐は純粋な方なんですね…あの当時は軍人ならば死んでもお国の為ならと言う精神を叩き込められていただけに、畑中さんのような抗戦を叫ぶ将校が沢山いたのではないでしょうか。後編を期待しています。

投稿: ガバの爺さん | 2011年9月 8日 (木) 15時07分

おはようございます。Pecoさんお得意のノンフェクションですね!畑中少佐の事は知りませんでした。8月15日の終戦記念日は親父から何度も聞いた事があり、戦争で寺の鐘突き堂の鐘が軍に徴収されたと聞きました。戦争は終結してよかったと思うけど、お国のためと戦場に散っていった人たちは浮かばれませんね。あの戦争がなかったら今の日本はないでしょうか。抗戦派の若い将校たちの思いも判らないでもなく、日本を思っての行動だったのでしょうか!なんかジーンときました。

投稿: 和尚さん | 2011年9月 9日 (金) 07時27分

ガバの爺さん>>
おはようございます。
すっかりお返事が遅くなってしまいました、。、。9月8日に訪問してくださってほぼ、三週間も経ってしまって申し訳ありませんでした。
畑中少佐のことは、「日本の一番長い日」という映画のDVDを借りて観て知りました。
私がこの世に生まれる一年半前、このような戦争最後のシナリオがあったこと事態知りませんでした。戦争そのものには反対ですが、当時の状況では国を愛する純粋な心があったのも事実だし、徹底的に軍事教育を叩き込まれた結果かと思いました。
今の平和に時代に逆行することはありませんが、この畑中さんのように国の将来を思い余っての奮起には心が痛みました。


和尚さん>>
おはようございます。
ガバの爺さん同様に、お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
最近もこのブログはサブ的存在になり、ご訪問くださる方にも大変申し訳なく思っています。更新も頻繁ではなく、思いつきでアップするような現状です。
続、畑中少佐もアップしましたのでご覧下されば幸いかと思います。映画がそのままを、もの語ったとは思いませんが、畑中さんのような純粋の心を持った将校もきっと多かったと思います。またなんかの機会があったら、このような戦記ものシリーズを綴って観たいと思います。


pecoからのメッセージでした。

投稿: peco | 2011年9月28日 (水) 08時18分

争で200万以上無くなった日本兵士に対する、その責任者は誰でしょうか?日本庶民も戦争被害者ですよ!加害者は旧日本政府と旧日本軍だ!
なぜ今まで靖国神社に参拝し続けますか?
宮城事件を発動し、日本庶民の命は奪われ続けるのは望むか?
あの時、天皇様の決断は正しいのに、偽善者は日本庶民のことを考えたことがありますか?
国の為ではなく、自分の為だと思います!

投稿: | 2015年8月15日 (土) 16時40分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1020526/41521236

この記事へのトラックバック一覧です: 畑中陸軍少佐:

« 好球必打 | トップページ | 続編 畑中陸軍少佐 »