カテゴリー「スポーツ」の記事

2012年4月 8日 (日)

高野連は監督に抗議権を与えるべき

第84回センバツ高校野球は、大阪桐蔭高校がセンバツ初優勝で幕が下りましたが、私には不快な審判員の判定がありました。その不快な審判員の、矛先にあげられるのが日本高野連(日本高等学校野球連盟)であります。大会10日目となる準々決勝で、関東一高x横浜の試合で事が起きた。5回裏一死一・三塁で横浜の攻撃中で1点を追う展開で2番打者がスクイズを慣行したのだ。スクイズは成功し、三塁走者の尾関(三年)が本塁に駆け込んだ。これで同点となり二死二塁の場面となりなおも、得点圏に走者をためた。ところが此処で、守備の関東一高の捕手が球審にアピールし、本塁に生還した走者にアウト宣告。球審は場内マイクを通してこう説明した「三塁走者はホームベースを踏んでいませんのでアウトとします」つまりがルールに定められた、アピールプレーによるアウトである。これに黙っていなかったのは、甲子園通産50勝の横浜 渡辺監督である。猛然と球審に詰め寄ると、数分に渡り抗議したのである。高校野球には監督からの抗議は認められず、主将もしくは伝令に限り抗議が認められると決められている。すなわち渡辺監督は、この日本高野連のルールを破り直接、球審に抗議したことになる。結局、渡辺監督は試合後に大会本部から口頭による注意を受けてしまったのである。其の日、私は甲子園には行っておらず、夕方のニュースでこの事態を知った。百戦錬磨の名将渡辺監督だから、直接審判員に抗議できないことは百も承知のはず。だったら何故、あえて抗議をしたのか。一度、機会があったら渡辺監督に聴きたいと思っている。

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アピールプレーは、野球をご存知の方だったら知っていると思いますが守備チームの選手が、打った相手チーム野手がベースを確実に踏んだか否か、踏んでいなかったら審判に抗議できるというプレー。高校野球を主催する日本高野連は、高校野球を学習の場と判断している。派手なアクションや、ガッツポーズも好ましくないとする地味な行動に徹するプレーを好むのであって、すなわち教育の一環と考えているからだろう。だったら何故抗議ぐらい、チームを預かる責任者の監督もしくは野球部長では駄目で、主将そして伝令だけに抗議権を認めるのか。私だけではなく、スタンドのファンそしてテレビの前で観戦していらっしゃる人たちの多くは、疑問を持っているに違いない。決勝が行なわれた4月4日、私たちが陣取る甲子園の記者席でも、この話題が論議されていました。クロスプレーでもない三塁走者の尾関選手は、踵(かかと)でホームを踏んでいるのは間違いない。放映されていた画面で確かめても、確かに踵で踏んでいるのに関東一高のアピールプレーがあって、アウトを宣告した球審はアンフェアーだという声が出ていた。一度宣告したジャッジを覆さないのは日本高野連の仕来りで、その影響が大学野球や社会人野球強いては、プロ野球にも及んでいる。教育の一環とする日本高野連の発想は、戦後まもない頃なら未だしも、戦後六十数年経った今でも引き継がれているのは如何にも古い考えである。監督、野球部長はただの引率者とする日本高野連の古い考えはもう辞めて、選手と同じ立場である事を認識すべきであり、大学野球や社会人野球のように監督がマウンドにも行き、コッチャーボックスに立っても良いのではないか!それと、スポーツの勝利に関わる判定は、いまや写真判定だって行なわれるのが常でもある。あの場面でホームへの生還が認められていたら、試合はどうなっていたか知る余地もないが横浜の渡辺監督は、尾関クンが間違いなく踏んだというホームベース騒動を、どのように想っているのだろう。

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2012年3月 6日 (火)

五輪最年長出場を自ら更新

この夏、ロンドンで行なわれる五輪の馬場馬術代表に、法華津 寛(ほけつ ひろし)さんが出場することに決まりました。北京五輪に、日本人史上最年長の67歳で出場したベテランがロンドン大会にも出場するという栄冠を勝ち取ったのだ。法華津さんはこの28日が71歳の誕生日というから、自らの史上最年長記録を塗り替えることになる。中学1年で乗馬を始め、23歳で東京五輪に出場した。法華津さんはドイツを拠点に技を磨き、44年ぶりの北京大会では個人34位。その後もドイツにとどまって、今年のロンドン大会を目指していた。去る3月1日に、フランスで行なわれた五輪出場枠ランキング対象期間の最終日に、見事に優勝して滑り込みで掴んだ出場に、本人は大いに喜んだという。それにしても71歳で五輪出場とは、恐れ入りました。法華津さん、五輪に歳の差は関係ないことを全世界にアピールしてください。

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2012年3月 2日 (金)

名古屋ウィメンズマラソン2012

昨年の東日本大震災の直後に開催される予定だった名古屋国際女子マラソン!その名古屋女子マラソンが中止され、今年から新たに大会名が変わって『名古屋ウィメンズマラソン』となりました。開催内容などにも変更があり毎年、瑞穂陸上競技場を発着していたコースや時間も変わりました。期日は3月11日(日)に、ナゴヤドームからのスタート(フルマラソン・ハーフはゴール地点が変わります)で、フルマラソンは例年通り42.195㌔です。この大会は、第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)代表選考競技を兼ねています。主なコース内容は、午前9時10分スタートし、ナゴヤドーム→内山町→中道→桜山→新瑞橋→堀田→新瑞橋→内山町→桜通→若宮大通→伏見通→名古屋城→城見通→康生通2→城見通→日銀前→桜通→内山町→ナゴヤドームに至る、コースとなりました。外国招待選手では、No1キャサリン・ヌデレバ(ケニア) No2リディア・シモン(ルーマニア) NO3アルビナ・マヨロワ(ロシア) NO4オレーナ・シュルクノ(ウクライナ) No5ラサ・ドラジャウカイテ(リトアニア)の5選手。国内招待選手では、No11野口みずき(京都シスメックス) No12渋井陽子(三井住友海上) No13尾崎好美(第一生命) No14赤羽有紀子(ホクレン) No15加納由理(資生堂) No16中里麗美(ダイハツ) No17那須川瑞穂(ユニバーサルエンターテイメント) No18藤永佳子(資生堂) No19伊藤 舞(大塚製薬) No20永尾 薫(ユニバーサルエンターテイメント) No21樋口紀子(ワコール) No22吉田香織(アミノバイタルAC) No23脇田 茜(豊田自動織機) No24勝又美咲(第一生命) No25宮内洋子(京セラ)らの15選手です。ペースメーカは4名で、No51アニコ・カロピッチ(ハンガリー) No52レネ・カルマー(南アフリカ) No53野村沙世(名城大) No54黒田真央(ユタカ技研)です。

注・・・名前欄の前にあるNoは、当日のゼッケン番号となります。

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2012年2月14日 (火)

逝くのが早すぎるよ

大相撲の田子ノ浦親方が13日、部屋で突然倒れて病院に搬送されそのまま帰らぬ人となった。和歌山県新宮市出身で、新宮高校時代に史上初めて高校生でアマ横綱に就き、その後進学した日大でも学生横綱になるなど活躍した。現役時代の四股名は久島海、本名久嶋啓太1965年8月生まれで46歳の若さだった。日大から鳴り物入りで出羽海部屋に入門し、1988年初場所で幕下付けだしでデビュー。1989年名古屋場所で新入幕し、腰の重い大型力士として活躍が期待されていた。

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最高位は東前頭筆頭で、三賞は敢闘賞を二度受賞。あの旭道山との土俵では、張り手にバッタリと土俵に崩れ落ち、膝を強打したのはあまりにも有名。その後は怪我に泣き、そして1998年の秋場所を最後に引退し、出羽海部屋の部屋付き親方として田子ノ浦を襲名し、後進の指導をしていた。2000年2月に出羽海部屋から独立し、田子ノ浦部屋を創設し長らく苦労はするものの、昨年の名古屋場所で、碧山(ブルガリア出身)が同部屋初となる十両に昇進し関取を誕生させた。それにしても田子ノ浦師匠の突然の逝去は、あまりにも早すぎた。やっと部屋にも念願だった関取が誕生し、これからという時に、。、。昨年も11月7日、福岡場所が開催される直前の6日前に、鳴戸部屋の師匠(元横綱 隆の里)が逝ってしまった。鳴戸部屋は部屋付きの西岩親方(元前頭隆の鶴)が部屋を継承し、鳴戸部屋はそのまま継続となった。しかし田子ノ浦部屋には部屋付きの親方が居ないため、このままでは来場所開催の大阪場所には在籍している力士たちは出場出来なくなるため、出羽一門の出羽海部屋に移ることになりそうだ。久島さんのご冥福をお祈りします。

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2012年2月13日 (月)

読売巨人軍宮崎キャンプ

プロ野球は2月1日、セ・パ12球団がそれぞれ一斉にキャンプインした。私はプロ担当番ではありませんが、2月11日(土曜日)から読売巨人軍がキャンプインしている宮崎へ名古屋から飛びました。名古屋を午前07:55の飛行機で発ち、宮崎に着いたのは午前09:15分。さすがに南国宮崎なので、名古屋や岐阜よりかは暖かい。空港からタクシーで読売巨人軍がキャンプを張る、宮崎県総合運動公園(サンマリンスタジアム宮崎)へと。読売巨人軍のキャンプ地に来たのは初めてですが、四年前にピンチヒッターで東京ヤクルトの沖縄キャンプ地に行って以来でした。読売巨人軍は宮崎キャンプが恒例で丁度、第3クルーに入ったところでした。一軍はサンマリンスタジアム、ファームは同じ総合運動場にあるひむかスタジアムですから一軍、二軍とも直ぐに近くでのキャンプです。2月11日(土)から第3クルーで、快晴の中この日は多くのファンが詰めかけ、2万5千人の観客だったそうです。投手陣では今年から、杉内とホールトンが加わり、内海そして澤村と豪華なピッチングスタッフが編成され、2009年以来のペナント奪回を目指す。野手陣では坂本、亀井が元気だし長野や高橋、小笠原もコーチ陣のノックを受けるなど順調な仕上がり。私が最も期待している鬼屋敷正人(近大高専出身)は、まだ一軍の経験がないが三年目の今年は阿部を驚かす存在に是非、なってもらいたいと期待したい。川相二軍監督も、スローイングが良いだけにあとは実践を踏まえた打撃とリードだけだと話す。かつては鬼肩の鬼屋敷と言われ、三重県の高校野球では何度もその姿を観てきただけに、早く一軍の切符を手にして貰いたい選手の一人です。第3クルーの二日目となった2月12日(日)は、土曜日を上回る大勢のファンが押し寄せ、球場には3万4千人が球場に詰め掛けた。一般ファンにもグランドへ入ることができ、原監督の粋な計らいでお目当ての選手らにサインをねだる少年少女たちが大勢押しかけた。昨日の午後、宮崎空港発午後20:05分発の中部国際空港行きANAで午後21:10分で帰名しました。飛行機嫌いの自分ですが、今回はその飛行機を利用しないとGキャンプ巡りは出来ませんでしたので、遇えて飛行機を利用しました(笑) 因みに宮崎でキャンプを張ってる球団は、読売巨人軍のほかにソフトバンク・西武ライオンズ・広島東洋カープがありますが、読売巨人軍はというと、今後のキャンプスケージュールは第4クルーが終わったあと、2月19日から3月18日まで沖縄那覇市へ移動し、オープン戦などの試合後、3月30日のペナントレース開幕に向けて調整をすると、球団広報からの連絡でした。3年ぶりのセ・ペナント奪回に向けた原ジャイアンツは、此処まで順調な仕上がり具合でした。

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宮崎に来たのは何年ぶりになるのだろうか!前に来たのは6、7年前かと思うが、北九州から鹿児島まで行ったぐらいほんと、久しぶりでした。その前は、東京から夜行寝台の高千穂で、丸っと二日間掛けて来たぐらいです。日南・高千穂・指宿など、宮崎の有名な観光も巡って、南国宮崎の好いとこを巡った以来。そういえば此処、宮崎にはブログ友の『れんげそうさん』がいらっしゃるはずなんだが、生憎と何のお知らせもしなかったし急遽、宮崎に着たのにお逢いすることさえ出来ず残念の一言!僅か二日間だけの宮崎滞在ではあったが、好い思い出になりました。本社G番のRさん、お招きいただいて有難うございました。

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2012年1月31日 (火)

北の湖親方が理事長復帰

日本相撲協会の理事選が一昨日、国技館で行なわれました。二年に一度の理事選には十二人が立候補し、ほぼ予想通りの新理事が誕生しました。今度の選挙でも、造反者が出て一門の候補者には投票せず、二年前に新理事となった貴乃花グループの貴乃花親方に投票した親方が数名明るみにでた。そして、理事長選には大方の予想通り北の湖親方が満場一致で選ばれ返り咲いた。放駒原理事長はまもなく定年を迎えるため、経験豊富な元理事長が抜擢されたという。相撲協会はまだまだ数多くの難問を抱えており、これを克服するには北の湖親方しか居ないというのも、何となく前途多難ではと思います。北の湖新理事長は02年から08年の六年もの間、理事長として君臨していたが、08年に弟子の大麻事件で引責辞任した経緯を持つ。また新理事五人のなかにも、八百長事件などで降格処分を受けている。先ほど述べた相撲協会の難問題の一つである年寄り名跡も、巨額な金額が動く今までの経緯からすると、公益法人移行に向けたこれからの日本相撲協会の取り組み方が、所轄官庁である文科省がどう判断するのか。新体制から一夜が明けたが、内外から相撲協会の体質について疑問視する人も多い。

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相撲界は閉鎖的だと思っていらっしゃる方が多いなか、日本古来の伝統を重んずるだけでは何も解決はしない。今までは、財団法人という税制面に保護された日本相撲協会は独自での独立法人として、経営から運営の全てを刷新し国民の期待に添えるように改革して貰いたい。この度、選ばれた新理事の方々には相撲ファンが納得する、新たな日本相撲協会の前進のためにも大相撲の改革を推し進めていただきたい。

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2012年1月29日 (日)

センバツ出場校32校決まる

2012センバツ出場の一般出場校29校と、21世紀枠3校の32校が決まりました。3月21日に開幕する同大会に、各地区を代表する出場校は下記の通りです。

①北海道地区(一校)                   北照(北海道)   2年ぶり4回目

②東北地区(二校と神宮枠一校)      光星学園(青森)  2年連続6回目

                       聖光学院(福島)   4年ぶり3回目

                       花巻東   (岩手)   3年ぶり2回目

③関東地区(五校)                      浦和学院(埼玉)  2年連続8回目

                       作新学院(栃木)   8年ぶり9回目

                           健大高崎(群馬)  初出場

                       高崎     (群馬)   31年ぶり2回目

                       横浜      (神奈川) 2年連続14回目

④東京地区(一校)                      関東一    (東京)   4年ぶり4回目

⑤北信越地区(二校)                   敦賀気比 (福井)   2年ぶり4回目

                         地球環境 (長野)   初出場

⑥東海地区(二校)                      愛工大名電(愛知) 7年ぶり9回目

                       三重    (三重)   2年ぶり11回目

⑦近畿地区(六校)                      知弁学園  (奈良)  11年ぶり8回目

                       天理        (奈良)  5年連続22回目

                         履正社     (大阪)  2年連続4回目

                       大阪桐蔭   (大阪)  2年ぶり4回目

                        鳥羽       (京都)  11年ぶり4回目

⑧中国地区(三校)                      鳥取城北  (鳥取)  初出場

                        倉敷商      (岡山)  22年ぶり3回目

                                 早鞆         (山口)  初出場

⑨四国地方(二校)                      徳島         (徳島)  32年ぶり7回目

                       高知         (高知)  2年ぶり16回目

⑩九州地区(四校)                      神村学園  (鹿児島) 3年ぶり3回目

                       九州学院  (熊本)    2年連続5回目

                       別府青山   (大分)  初出場

                          宮崎西       (宮崎)  初出場

21世紀枠(三校)               女満別       (北海道)初出場

                             石巻工       (岩手)  初出場

                        洲本          (兵庫)  26年ぶり3回目

                     

                         

                            

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2012年1月19日 (木)

最速十両を目指せ

昨日から、今年二度目となる両国に来ています。初場所(初日1月8日)は、先般の二日目と三日目の取組でしたが新鋭力士がいま、脚光を浴びています。その力士とは佐久間山(北の湖部屋・東幕下15枚目)で先日、歴代一位だった元小結 板井が持つデビュー26連勝に並び、新記録の樹立が待たれていた。昨日の取組で佐久間山は、安芸乃川を万全の相撲で押し出して、とうとう単独歴代一位のデビュー27連勝を記録した。佐久間山は昨年五月場所、技量審査場所(野球賭博事件などの影響で相撲協会は、五月場所を自粛し無料で開放)が初土俵で序の口、序二段(優勝決定戦で負け記録上は本場所全勝)、三段目は全て全勝でそれぞれ一場所で通過。もし、この初場所を全勝で優勝を決めれば、昭和以降ではじめての所要五場所での十両となりそう。部屋の師匠である北の湖親方は「あの子はテッポウや摺り足など、稽古も率先して真面目な態度で励んでいるし、性格も素直で兄弟子たちからも評判が良い。記録云々より、将来有望な力士になってくれれば」と話す。

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佐久間山は、大学相撲の出身だが日大二年のときに学生横綱のタイトルを獲得するなど全国制覇も経験したが、学生横綱は一年以内に角界に入門の条件で、幕下格15枚目からの付出しデビューはならなかった。その為に、卒業後は序の口前からのスタートとなり、二年後から土俵に上がっていた。2009年2月12日、尊敬する父親の幸一さん(享年52才)が病気で急逝したが、父が天国で見守ってくれているから無様な土俵姿だけは見せたくありませんと話していた。既に十一日目で六番取っており、佐久間山はあと一番、全力で優勝を狙うとともに、自分の相撲をとり連勝記録を更に延ばしたいとニッコリ笑っていた。

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2011年8月10日 (水)

好球必打

一昨日の阪神甲子園球場、第3試合は関商工x如水館の対戦でした。序盤から1点ずつ取り合うというシーソゲームで、関商工が先制すれば直ぐに如水館が追いつくといった展開でした。同点となった3回からは、2-2で両チーム互いに0が続き、どちらが勝ち越し点を挙げるか・・・試合から眼を離せない好ゲーム。如水館は4回から先発宇田から左腕エース浜田にスイッチ、内城も5回でマウンドを降り右翼に退いた。内城のあとを任された安江も、毎回のようにランナーを許し苦しい展開が続いた。しかし、関商工の内野陣は堅守で守り四つの併殺を奪うなど安江を助けた。7回、8回には無死それに一死一・三塁からの併殺は見事な連携プレー。ピンチを背負うと内野手らはマウンドに集まり、指を1本立ててアルプスに向かって「ハッピー」と叫ぶ。スタンドもそれに応えハッピーと叫び、選手やスタンドが一体となって全員一丸となった。延長に入っても如水館は、一年生で4番を打つ島崎らは鋭い当たりで出塁し、安江を脅かすが関商工のデフェンスが守り抜いた。しかし延長13回、自らの野選と失策から無死一・三塁のピンチ。強烈な打球が三塁横を襲い審判はフェアー・・・。天を仰ぐ安江ら関商工ナイン。試合は2-3Xで、如水館がサヨナラ勝ちを収めた。甲子園出場2年ぶり7度目の如水館相手に、関商工は一歩も引けを執らぬ見事な試合だった。北川監督は試合後「守備は完璧だったと思います。練習どおりに出来て満足でした。点を取られる雰囲気もなかったしベンチにいても頼もしく思えた。ただ浜田君(相手校の二番手投手)には旨くあしらわれた。うちの内城は本来の球のキレがなく、スライダーもいまいちの状態だったので代えざるを得なかった。安江は粘り強く投げてくれました。甲子園にはまた来たいところです」と、話していました。見事な甲子園初戦の戦いで、スタントからは多くの拍手が沸き起こりました。関商工ナインは翌日の9日、堂々と胸を張って郷土に帰ってきた。

関商工は、私の地元である町の西北隣の市に学校があり、創部以来初の甲子園出場を果たしました。県大会では、戦前の予想は関商工と同じゾーンに入った大垣日大が優勝候補No,1。大垣日大は、春センバツにも出場しベスト8に入っている強豪。名将 阪口慶三監督が指揮を執り、大垣日大はここ数年岐阜県の高校野球に名を連ねる強豪校に急成長しました。関商工は何度もの、その大垣日大に行方を阻まれていた。その宿敵、大垣日大と準々決勝で対戦し、全国区でも通用する葛西投手を打ち込んでベスト8に進出、準決勝でも旋風を起こした郡上に競い勝ちし、決勝は古豪 大垣商と対戦。序盤から関商工は有利に試合を進め、エースで4番の内城が大垣商をねじ伏せ初の甲子園切符を手にしました。今までの関商工は、どちらかと言えば県大会ではベスト8には常連でしたが、その先には高い塀があり無念の涙を飲んできた。7年前、関商工の監督に就任した北川栄治監督は、そんなチームに絶対に甲子園へ行こうというアドバルーンを高く挙げさせ、先ずは守備から徹底的に鍛えてきた。昨年は好投手竹腰を擁したが、惜しくも3回戦で県岐阜商の前に敗退した。ラグビーでは花園の常連校だが、硬式野球部にとっては甲子園が憧れの舞台。毎日、学校から8㌔も離れた関市民球場を練習の舞台とし、部員たちはヘトヘトになるまで練習に明け暮れた。「全員野球で一丸となろう」が合言葉で、大きな声を出し合う部員たちは、挨拶でも大きな声が響き渡る。待望の練習施設も工事が着々と進められていて、今年度中には関商工に新しい専用グランドがお目見えする。

昨日の夜、帰る予定でしたが今日の大会五日目の第1試合、日本文理x日大三高のあと岐阜に帰りました。写真などは別冊 どすこいSports & 瓦版のスポーツ・アルバムでご覧いただけます。

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2011年8月 7日 (日)

六十六年前・・・

昨日の朝、あの日も暑い朝を迎えたのだろう、。、。昨日の朝、球場に向かう前にふとそう思いました。あの日とは1945年8月6日の午前8時10分、誰もその5分後に、新型爆弾が広島の上空で破裂するなんて思いもしなかったに違いない。子供たちは夏休み、男性たちは朝の出勤時間で家を守る主婦らは朝ごはんが終わり、掃除をしている時間であろうか。そして運命の8時15分、広島市の中心地上空1500㍍でピカッと激しい光が、。、。強烈な熱風というべきか風が舞い上がり、たった今住んでいた建物のほぼ全部は、跡形もなく強烈な風で吹き飛ばされた。何千度という熱さで建物、電車、そして私たち人間までもを一瞬に、その姿を燃えつくしてしまった・・・(広島原爆資料による)

私は、この悲惨な広島原爆被災があった翌々年の三月に生れましたので、原爆のことはよくは知らない。戦争という悲劇は、人を殺戮するという見るも無残で過酷で、戦争を推進した人らの陰謀だとする意見も多い。二度としてはいけない戦争・・・人類は二度と、原爆の被害に遭ってはならない。昨日は、そんな悲劇を生んだ原爆の日、犠牲となられた多くの方々に同じ8時15分、黙祷を捧げました。

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昨日は、第56回全国高校軟式野球選手権東海地区大会の決勝戦がある日です。朝8時30分過ぎに同行する『ぎふチャンのY氏』が、私の住む町の駅に到着。我が家から、多治見市民球場までは車で30分ほどです。阪神甲子園球場では、このあと9時から第93回全国高校野球選手権大会の開会式でした。甲子園には名古屋の社からこの春、入社した新米社員のRが金曜日から西宮に出向いています。さてこの軟式野球東海大会は、8月25日から29日まで5日間、兵庫明石公園野球場ほかで開催される全国大会への東海地区代表校一校を決める大事な大会で、昨日は9年ぶりとなる岐阜県勢同士での決勝戦でした。決勝に残ったのは中京と恵那で、中京は2年連続17度目を目指し、一方の恵那は初の全国大会を目指す戦いでもありました。

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来年は国体が岐阜県で開催され、『2012ぎふ清流国体』と名づけられています。国体の高校野球(軟式)競技は公開競技のため、正式競技のように都道府県の代表によるものではなく、その年の全国高校軟式野球に出場したチームから10校が選抜されます。岐阜市と大野町で開催される硬式競技もありますが、多治見市営球場で開催される軟式競技は、来年の9月30日(日)~10月3日(水)まで開催される予定です。

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試合は中京がエース下田(巧)、恵那が中西で始まりました。先制したのは中京で初回、1番の篠原がいきなり右越三塁打を放ち、2番森川の中前適時打で篠原が生還。なおも一死ニ・三塁の場面で5番 安藤が中前に2点適時打を放ちこの回3点を挙げた。中京は2、5回にも小刻みに1点ずつ挙げ、エース下田を援護した。下田はコントロールもよく低めに決まるスライダーと、真っ直ぐも面白いように決まり恵那打線を寄せ付けない。恵那に安打が出たのは7回表、先頭打者の中西が中前打の1本だけで、2回に出した四球と四死球の3人だけ、奪った三振も15と危なげない投球で恵那を完封し2年連続17度目の優勝と、8月25日から開催の全国大会に東海代表として出場することが決まった。

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完封勝ちした中京の下田を取材するぎふチャンのY氏、。、。このあとは、多治見駅前で遅めのお昼です。下のマスコット写真は、多治見の観光マスコットキャラクターのうながッぱです。一昨年は、日本一暑い町として40,1℃を埼玉県熊谷市とともに記録しました。

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明日は阪神甲子園球場です。ぎふチャンのY氏が、明日は西宮に宿を取っていないという、。、。「pecoさん、悪いけど明日の宿泊、同室で頼めない・・・」と言ってきた。私は明日、第二試合と第三試合の取材なんです。明日は日帰りの予定だったが、Rは明日一旦、名古屋に帰るというので明後日まで甲子園に滞在しなきゃならない羽目に。。。。それで何時もの定宿に予約しておいたんです。お爺さんトリオで同室とは情けない(爆)  一応、了承したのは言うまでもありません(トッホホ・・・)

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