カテゴリー「想い出レトロ」の記事

2009年9月 8日 (火)

野球小僧

♯野球小僧に 逢ったかい 

 男らしくて   純情で

 燃えるあこがれ スタンドで

 じっと見てたよ 背番号       

 僕のようだね 君のよう

 オオ マイボーイ

 ほがらかな ほがらかな

 野球小僧♪ 

この歌は、灰田勝彦さんが謡った歌詞で曲名は〝野球小僧〟です。灰田さんというと、お若い方には記憶にない方が多いと想います。1982年にお亡くなりになられたが、戦中戦後の昭和の歌手として有名な歌い手でした。ハワイ生まれで、その甘い声は人気の的でした。灰田さんといえば、ヨーデルの歌手だなんて云われたけど、私はこの〝野球小僧〟が最も印象的だったし、小さな頃はこの歌を口ずさんでいました。このほか、きらめく星座、新雪、アルプスの牧場など数多くのヒットソングがあります。Haida05

そして野球関連の話の続きですが、海の向こうであのイチローが米2000本安打達成と云う、とてつもないニュースが我が部署に入ってきた。オークランドコロシアムで行われたアスレチック戦で、1回の第一打席で右翼線を破る二塁打を放って、日本選手初の大リーグ通算2000本安打を達成した。そして大リーグ史上初となる、9年連続2000本安打にあと5本となった。それにしても凄い記録ですし、日本のプロではなく本場米大リーグだけでの記録なのです。彼の高校時代(愛工大名電)に何度もイチロー(当時は鈴木一郎)を観ているが、身体もそんなに大きくなく、どちらかと言えば背高のっぽ的な痩せていた選手としか思い当たらない。そのイチローが世界のイチローとなり、大リーグ記録に迫ろうとは・・・。折りみて、当時のイチローを育てた中村豪 元監督(愛工大名電)に、お話を聞きに行きたいと想っています。

さて、今日は美濃市にある手まり寿しで有名な〝かんじ〟のお寿司を紹介しましょう。このお店は完全予約制で、3日前までに予約をしないと食べられません。四年ほど前に、ある方の紹介で始めて行ったお寿司やさんです。長良川の清流が間近とあって、鮎の塩焼きは勿論のこと名物の手まり寿しが何とも可愛いらしい。2009_0907_032              

明日はどんな出会いがあるのでしょう・・・。どうぞお楽しみに。これを岐阜美濃弁で話すと「明日はよう、どんな出会いがあるんか 楽しみによう 待っとってちょうだゃぁ~えか・・・」こんな具合であります。

トップに記載した、灰田勝彦さんの野球小僧はYAHOOの検索サイトから、「灰田勝彦 野球小僧」試聴/サイトで一番の歌詞のみ音声だけの歌詞が聴けますのでお聞きください。

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2008年10月 7日 (火)

まぼろしの邪馬台国

第一回吉川英治文化賞受賞作の、まぼろしの邪馬台国が映画化されて11月から封切される。これは昭和40年代、第一回吉川英治文化賞を受賞したベストセラー「まぼろしの邪馬台国」が発端となり、日本中に邪馬台国ブームが沸き起こった。今度、上映される映画は主演に私が大好きな吉永小百合、そして竹中直人らが・・・楽しみにしていた映画であり、吉永小百合の大ファンであるからだ。前回の吉永映画は、坂東三津五郎との共演だった「母べえ」以来だから、久しぶりに憧れの小百合さんを観させてもらうこととなる。そういえば今年になって観た映画は、既に八本目となる。今後の鑑賞予定作は「おくりびと」、そして「まぼろしの邪馬台国」、「私は貝になりたい」、「釣りバカ日誌19」などである。きっと映画評論家の淀川長治、水野晴男さんらも、天国で観ることであろう。この間も友人から、お前は井筒監督に似ているとか?といわれた。馬鹿言うな、井筒は私より若いんだから、あいつが俺に似たんだろうなんて・・・冗談かと言われがちだが、井筒和幸監督は私に言わせればたいした監督ではないし生意気な監督である(井筒が私のブログを見たら何というか見ものだ・・・)、試しに、いままで井筒の映画は一度足りとも観たことがない。私が絶賛する映画監督ならば故黒澤明、山田洋次、犬童一心、朝原雄三らがそうである。もうひとり、傑作な監督がいた。その名前はビートたけしである。残念ながら今年のカンヌ映画祭での優秀監督にはなれなかったが、ビートたけしの脚本手腕は、そこらの演出家より優れている。さてさて、今夜は久しぶりの下呂温泉。七千八百円で泊まれる今話題のホテルに、家の前で電器店を営む夫婦たちと連れ連れ温泉である。明日の昼過ぎには帰ってくる温泉入浴の近場の旅?でもある。

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2008年8月12日 (火)

昔しのSP・LP盤をCDに録音

青春時代だった昭和37年ごろに、なけなしの小遣いからせっせと貯金しながらLPとかSP盤を買いあさった。半分以上は紛失してしまったが、まだ30枚ぐらい袋の中にしまってあった。ほとんど洋盤で、ポールアンカとかパットブーン、二ールセダカ、コニーフランシス、レイチャールズなどの曲。あの頃はカセットなんてない時代で、ポータブル用の卓上タイプの蓄音機でよく聴いたものだ。残念ながら今はレコードを聴く蓄音機?がない。たまたま、友人がステレオタイプの蓄音機を持っていたので借りに行くことに。どうにかCDに録音できたが、どうも音質が悪い。うーん何かおかしいと思いつつ、LP盤を見たらステレオ盤ではなくモノラル盤であることに気がついた。孫たちが思春期になったら聴かせてやろうかと。

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2008年6月19日 (木)

なつかしのグッズ

日本初のトランジスタラジオって、いつの時代に発売された?これは、4月に高山市の昭和レトロ館に展示してあった、一台の古いトランジスタラジオのQであった。1955年(昭和31年)に東京通信工業(現ソニー)から、日本で初めてという小型のトランジスタラジオが発売された。当時のラジオといえば、真空管式ラジオで小型の物でも800x300x200ぐらいの据え置きタイプが主流だったという。1940年代から1950年ごろまでは、もっと大きい仏壇タイプであった。戦後、一家に一台と言われたラジオは、その後のテレビの登場でお茶の間の主役から退くことになり、居間の戸棚の上に置かれ家族で聴くというスタイルから、屋外や寝室で個人が楽しむものへと変わっていった。その背景には小型で持ち運びができるトランジスタラジオの登場があったからだ。ちなみに当時は、AC電源の要らない乾電池だけで聴けるトランジスタラジオが、うたい文句だったと思い出される。そのころはAM波だけのラジオだったが、1965年頃から短波そして1980年頃からはFM波が加わり、音質もグーンと良くなったのも懐かしい。いまやラジオからの音楽より、CDやMDにうって変わった名刺サイズよりコンパクトな、次世代ウォークマンなんていうのが流行っている。その昔はNHKのラジオ受信料も契約制で受信料は払って聴くものだった。しかし、ラジオもやがて受信料無料の民間放送が相次いで開局し、1968年(昭和43年)から、NHKのラジオ受信料は廃止となった。

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